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ざわり

着るものなど、見かけにはほとんどこだわらないのですが、絹(シルク)の手触りは気持ちいいと思います。この季節だと、カシミヤも気持ちいいです。少し、チクチクするかもしれませんが、子供の頃のウールに比べるとなんてこと無いですね。それとも、肌の感覚が鈍ってきているのかなあ。
そういう意味では、褒められているときの耳障りの良い言葉や、綺麗なものを見ているときの目障り(?)のよいものなど、〇〇ざわりの良いものには、多くの人は良い反応をすると思います。
生命の多様性からすると、全ての人がそれが良いと思うわけではなく、全く反対のものが良いと思う人も存在するからこそ、多様性があり、生命存続の危機を乗り越えてきたと思えるのですが。

この〇〇ざわりが悪い事を多くの人は見たくないという反応を示します。しかしながら、その〇〇ざわりが悪いことが、後々大きなしっぺ返しをする事もあります。

ここでいう「後々」がどれくらい後なのかも問題となります。

その人が生きている間なのか、それともその後なのか。または、予想も出来ていないのか。

私が見ようとしているのは、自分が生きている間、そして我が子が生きて行くであろう間でしょうか。

ちょうど今年、人生100年とすれば、ちょうど折り返しの年齢になります。

とすると、あと50年を見据えて考えてみると、これまでと同じ時間が残っています。

人間の時間の感じ方は、わくわくしていると時間の経過が遅いようなので、わくわくがなくなってくると、もしかしたらこれからの50年は折り返しではなく、折り返しを過ているのかもしれません。

現在を一所懸命生きることも大切ですが、見聞き感じたくもない先のことを考える時間を少し持つことも必要だなあと思います。

考えないと、だまし続けられることになりますよ。

だましている方は、だましているとは分かっていないかもしれませんが。

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