日記

トルコ共和国が親日国である事は知られているが、その続きはほとんど知られていない事を知った。

トルコ共和国が親日国である事は私でも知っていることであるから、よく知られている事だと思う。

トルコ軍の戦艦が嵐の中難破し、それを助けた事に端を発している。

そのトルコ軍艦が難破した場所が、近くにあることを知り、子供達が遊びに来ているときに、トルコ記念館に訪問してきた。

Screenshot of kankou-kushimoto.jp

トルコ記念館は、ほぼ本州最南端の紀伊大島の中にあり、本州からはループ橋で繋がっている。ループ橋は海風の影響を避けるために、少し高めの塀があるので、背丈の高い車だと素晴らしい風景を見ることが出来るだろう。

トルコ軍艦が遭遇した悲劇は、下の写真慰霊碑の文面を読んでも、かなり厳しかったことがよく分かる。さらに、記念館には他の資料も展示され、詳しい情報を入手する事が出来る。

ここまでは多くの人が知っていることだと思うのだけれど、これ以降のことは知っている人はそれほどいないのでは無いかと思う。

しかし、その後95年経った1985年にトルコ共和国は、イラン・イラク戦争中に自国民よりも日本国民を優先して日本国民を戦地から空路を使って脱出させる決断と、実行したのだった。こりゃ、前々知らなかった。失礼しました。

記念館では映画よりも詳しい情報を得ることが出来、ありがたいなあと泣けてきた。

和歌山においでの時は、是非トルコ記念館に足を伸ばしてください。

少し歩くと灯台があり、灯台からの景色は素晴らしいですよ。

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